東京都交響楽団

スコアの深読み

第27回

シルヴェストロフとポストモダン

ポストモダンとは

 ヴァレンティン・シルヴェストロフ(1937~)について、本稿では「ポストモダン」という角度からこの作曲家に迫ってみたい。
 そもそもポストモダンとは、建築の分野で登場した言葉である。「機能主義」と「合理主義」を突き詰めていくことで装飾性を徹底して剥いでいったモダニズム建築に対して、過去の様式を混成した「折衷主義」により、過度な装飾を伴うことが多い建築をポストモダンと呼ぶようになった。名付け親は建築評論家のチャールズ・ジェンクス(1939~2019)とされる。誤解してはならないのは、彼の著作『ポストモダン建築の言語(The Language of Post-Modern Architecture)』(1977)の時点では、必ずしもモダニズム批判というニュアンスが強くなかったという点だ。
 ところがフランスの哲学者ジャン=フランソワ・リオタール(1924~98)が『ポストモダンの条件(La condition postmoderne)』(1979/小林康夫訳、水声社、1989)において、ポストモダンを、科学の正当性を担保するため利用されてきた、真偽や善悪を判断する基準である哲学に対して、信頼が揺らいだ状態とした(これがいわゆる「大きな物語」の終焉)。その結果、モダニズムの行き詰まりを批判するためにポストモダンという言葉が使われる機会が増えていったとされている。
 こうしてポストモダンは、大きく分けると①過去の様式を折衷する「多様式(polystylism)」、②「アンチモダニズム(Antimodernism)」という2つの意味で用いられるようになった。この前提を踏まえて、シルヴェストロフの作風変化を、同時代の作曲家と比較しつつ追ってみよう。

シルヴェストロフの多様式

 シルヴェストロフが生まれたのは、ウクライナ・ソビエト社会主義共和国(1917~91)の首都キーウ。建築技術大学に入学したこともあったが、退学して15歳から学んでいた音楽の道へ進む。1958~64年にキーウ音楽院でレフコ・レヴツキー(1889~1977)に和声と対位法を、ボリス・リャトシンスキー(1895~1968)に作曲を師事した。師となった2人はどちらも、プロコフィエフとハチャトゥリャンを育てたレインゴリト・グリエール(1875~1956)門下。シルヴェストロフが、このあたりの系譜から派生した存在であることは、学生時代の初期作であるピアノのためのソナチネ(1960/65)から感じ取れるし、ピアノ五重奏曲(1961)は明らかにショスタコーヴィチの同名作をモデルにしている。
 ところが続くピアノ独奏のための《三和音(Triad)》(1962)では、12音技法を用いてブーレーズの《ノタシオン》(1945)のようなアヴァンギャルドな作風を試みた。学生時代の集大成である交響曲第1番(1963/74)について、シルヴェストロフの妻の説明によれば第1部は自由な無調、第2部は12音技法、第3部は多声的な対位法で書かれており、「多様式」の萌芽が既にみられる。ただし作曲者本人が多様式への転機となったと語っているのはヴァイオリン、チェロとピアノのための《ドラマ》(1969~71)と、チェロとピアノのための《瞑想曲》(1972)だ。
 《ドラマ》は3つの楽章をもち、第1楽章がヴァイオリンとピアノ、第2楽章がチェロとピアノ、そして第3楽章で3つの楽器が勢ぞろいするという構成。いずれの楽章も不確定記譜や特殊奏法を駆使した前衛的な書法で始まるが、途中で教会旋法(モード)を用いてアンビエント音楽のような美しく静寂を感じさせる音楽に転じる。誤解してはならないのは、この美しいセクションも楽譜をみると不確定記譜を用いているという点だ。言い換えれば、必ずしも懐古的なものとは言い切れず、前衛的な技法を使用してこのようなサウンドも生み出せるという、新たな試みになっているのだ〔このように旋法と前衛技法を掛け合わせる作曲法は、日本だと吉松隆(1953~)が1970年代半ばから試み始めている〕。

シュニトケの多様式

 ただし、全く異なる様式を並列させる多様式という観点からいえば、シルヴェストロフに先んじていたのが、当時はソ連に編入されていたエストニアの作曲家アルヴォ・ペルト(1935~)である。彼の《B-A-C-Hの名によるコラージュ》(1964)や《クレド》(1968)は典型的な多様式といえる。けれどもペルトはその後、中世やルネサンスの音楽を研究。1970年代後半から独自の様式を確立して、複数のスタイルを折衷する多様式からは離れてしまう。むしろ多様式を自らの作風として前面に押し出すようになるのは、ソ連生まれながら両親はドイツ系だったアルフレート・シュニトケ(1934~98)だ。彼自身が語るところによれば、多様式に取り組んだのは1968年のヴァイオリン・ソナタ第2番 《ソナタ風に》からだという。
 シュニトケが1971年に執筆したとされる論考「現代音楽における多様式的傾向」〔晩年に自らの音楽と人生について語った『シュニトケとの対話』(アレクサンドル・イヴァシキン編、秋元里予訳、春秋社、2002)に収録〕を読むと、彼がかなり広い意味で「多様式」という言葉を捉えていることが分かる。具体例として、引用の寄せ集めである「コラージュ」、「他人の様式の要素」を使用すること、他人の素材を自分流に発展させた「翻案」、「技法の引用」が挙げられており、こうした様々な手法で引用をする際に複数の様式の混合が生まれやすいと記されている。
 ここで気になるのが、多様式といいながら複数スタイルの混成を必須の要件としていないことだ。実際、シュニトケは後に多様式を「様々な様式の組み合わせ」ではなく「中心と周辺の相互関係」と言い表し、前衛芸術の世界で中心に位置づけられてきた音楽の様式だけを複数混ぜ合わせても「折衷主義(eclecticism)」であり、周辺に位置づけられてきた音楽を取り入れてこそ「多様式主義(polystylism)」なのだと説明するようになった。

寓話のような音楽

 シルヴェストロフは連作歌曲集《静かな歌》(1974~75)やピアノのための小品集《キッチュな音楽》(1977)において前衛的な書法を使わず、ロマン派の様式を模倣。前述した《ドラマ》でみられた、あからさまな複数スタイルの混在はなくなっていく。それでもシュニトケは前述した理由ゆえ、シルヴェストロフの音楽を多様式と捉えていたのだろう(キッチュであるということは周辺的であるということだ!)。もうひとつ重要な点は、これらの作品は過去の様式を模しただけでなく、ロマン派の時代にはみられないような細かな演奏指示が書き込まれており、ppが基準ではないかと思われるほど弱音のなかで細かくリタルダンド(徐々にテンポを遅く)を繰り返して揺らぎ続けることが求められる。
 bandcampというWEBサービスにおいて本人監修でリリースしている録音では、シルヴェストロフ自身による1977年頃の演奏が配信されているのだが、レコーディングの質が低いこともあり、まるで電波状況がそれほど良くないAMラジオで聴いているかのような感覚に陥る。それはまるでSPレコードを鑑賞する感覚にも近く、レトロさが強調されている。この独自の音質にもシュニトケは魅了され、『シュニトケとの対話』において「ほれ込んじゃっています」と語った。
 ところが「彼〔シルヴェストロフ〕の僕〔シュニトケ〕に対する態度は、興味はあるが、批判的だという感じがします」とシュニトケ自身も気付いていたように、シルヴェストロフの方は必ずしも好感を抱いていたわけではなさそうだ。その理由はおそらく、シルヴェストロフは《静かな歌》や《キッチュな音楽》で確立された自らの作風を、多様式とは異なる別の観点から捉えていたからではないか?
 シルヴェストロフは1970年代後半以降の自らの音楽を「ありふれたものを特別なものに変えようとした」と語っており、「metaphorical style(隠喩様式、メタファー様式)」もしくは「meta-music(メタ音楽)」と呼ぶようになっていく。それは抽象的な観念を具体的な目に見えるものに置き換えて比喩的に表現した「寓話(allegory, fable)」のような音楽であると言い換えられるだろう。寓話のあらすじ自体は子どもでも理解できることが多いけれども、隠喩として込められた教訓は人生経験がないと肌感覚で共感できなかったりするという意味で……。「メタ音楽」についてシルヴェストロフが「音楽上の意味による倍音」と説明しているように、彼の音楽が持つ魅力は二重性によって生み出されているのだ。

 最後にまとめよう。シルヴェストロフという作曲家は、《ドラマ》のような「多様式」を経たあとにたどりついた、《静かな歌》以降もシュニトケは広義の意味で「多様式」と捉えたけれども、作曲者本人は「隠喩様式」「メタ音楽」と自称。過度な演奏指示を加えることで新たな意味を持たせているとはいえ、過去の様式を露骨に引用しているため、シルヴェストロフの音楽は「アンチモダニズム」と捉えられることも多い。
 だが、本当にそうだろうか? 代表作とされる交響曲第5番(1980~82)では部分的に前衛的な書法が再び用いられているので多様式的なのだが、《ドラマ》のような例と異なり、不協和音も弱音でニュアンス豊かに演奏させることで抒情的に聴かせる。つまり前述した隠喩様式が不協和音にも適用されているのだ(おそらくこのアプローチが最大限活かされたのが、1996年に亡くなった妻に捧げられた《ラリッサのためのレクイエム》(1997~99)である)。そう考えてみるとシルヴェストロフの音楽をアンチモダニズムであると、簡単に言い切ることはできないはずである。
 過去の様式と向き合う「ポストモダン」は、必ずしもモダニズムを否定しようとしているわけではない。既に過ぎ去った過去の音楽を再考することで、既存の歴史観における価値に変化をもたらし、異なる未来の可能性を探る行為こそが「ポストモダン」なのだ。

小室敬幸(作曲・音楽学)

CD
【CD】
シルヴェストロフ:
交響曲第4番
交響曲第5番


ユッカ=ペッカ・サラステ指揮
ラハティ交響楽団
〈録音:2008年1月、8月〉
[BIS/BIS1703](海外盤)
*本文でも紹介した代表作の第5番(約41分)と、《静かな歌》と《キッチュな音楽》の間に書かれた第4番(約25分)、2つの交響曲を収録。どちらも傑作だが、特に第5番が支持されてきたのは、35分過ぎにあらわれる感動的なクライマックスがあるからだろう。それに対して第4番はもう少しクール。穏やかな部分はじんわりと沁みてくる。
CD
【CD】
シルヴェストロフ:
Moments of Memory Ⅱ
(記憶の瞬間 Ⅱ)

2つのディアローグとあとがき〔ウェディング・ワルツ/後奏曲/朝のセレナーデ〕
弦楽のためのセレナーデ(V.カラパチョフへ)
別れのセレナーデ(I.カラビツへ)
沈黙の音楽(マンフレート・アイヒャーへ)
 〔瞬間のワルツ/夕べのセレナーデ/セレナーデの瞬間〕
使者 - 1996(ラリッサ・ボンダレンコへ)
記憶の瞬間 Ⅱ〔幼い頃へのセレナーデ(G.ホロシロフの誕生日に)/エレジー(O.キーヴァへ)/告別のワルツ(V.カラパチョフへ)/後奏曲(Y.スタンコヴィチへ)/秋のセレナーデ(ラリッサ・ボンダレンコへ)/牧歌(インガN.へ)〕
イリーナ・スタロードゥプ(ピアノ)
ドミトリー・ヤブロンスキー指揮
キーウ・ヴィルトゥオージ
〈録音:2016年2月、5月、7月〉
[Naxos/8.573598](海外盤)

*都響が2023年11月12・13日に演奏する《沈黙の音楽》を収録。2000年前後に作曲もしくは改訂された作品が集められている。題名に“セレナーデ”を含む楽曲が7つあるので、共通点と違いを聴き比べるのもこの作曲家の理解に繋がるはず。妻の死に際して書かれた《使者 - 1996》も必聴だ。