「これは、事件だ!」
現代最高の作曲家の一人であり、LAフィルの「クリエイティヴ・チェア」を務め、ベルリン・フィル、ロイヤル・コンセルトヘボウ管、ロンドン響など超一流楽団の指揮台にも招かれるジョン・アダムズが、ついに都響を、つまり日本のオーケストラを初めて指揮! 最近作《アイ・スティル・ダンス》、ドイツを拠点に活躍目ざましいエスメ弦楽四重奏団がアダムズからのラブコールに応えて共演する《アブソリュート・ジェスト》、そして代表作として絶大な人気を誇る《ハルモニーレーレ》という、管弦楽技法の粋を尽くした逸品ばかりを、アダムズ自身の指揮で聴く貴重な、そして歴史的な機会です!
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オーケストラを聴く愉しみをとことんまで追求し続ける作曲家、ジョン・アダムズ
文/前島秀国(サウンド&ヴィジュアル・ライター)
イギリスの音楽サイト/データベースのBachtrack.comが毎年発表している集計の「Top 10 Contemporary Composer(現代作曲家トップ10)」によれば、2022年に欧米で最も作品が演奏された現役の現代作曲家は、演奏回数順に1位がアルヴォ・ペルト、2位がジョン・ウィリアムズ、そして3位がジョン・アダムズであった(以下、4位のトーマス・アデスと5位のフィリップ・グラスが続く)。前回ランキングが発表された2019年(2020年と2021年はコロナ禍のため集計なし)の集計によれば、アダムズは5番目に最も多く演奏された作曲家だったので、ここ数年で彼の人気が相対的に上がっていることがわかる。
2019年、アダムズはヨーロッパの文化、社会、社会科学において優れた業績を残した人物に授与されるエラスムス賞を受賞した。過去の受賞者にはクロード・レヴィ=ストロースやイングマール・ベルイマン、音楽家ではニコラウス・アーノンクール、グスタフ・レオンハルト、オリヴィエ・メシアン、ベルナルド・ハイティンク、マウリシオ・カーゲルなど、錚々たる面々が名を連ねている。アダムズの受賞理由は“今日(こんにち)のための作曲(Composing for today)”だったが、受賞発表から数週間後に本人と直接会う機会があったので、アダムズにとって「今日のための作曲」とは何を意味するのか、単刀直入に訊ねてみた。
もっとも、この集計にはアジア圏の数字が含まれていないし、そもそも演奏回数だけで作曲家の質の高さを評価できるのかという根本的な問題もはらんでいるので、もうひとつ、別の角度からアダムズの評価を考えてみる。「独創的な音楽を書くだけでなく、聴衆がアクセスしやすい音楽を書くということではないでしょうか。もうひとつ、私の場合は原爆を題材にしたオペラ《ドクター・アトミック》(2004-05)にせよ、テロを扱ったオペラ《クリングホファーの死》(1990)にせよ、現代の人間生活を題材にしてきたという側面があります。おそらくそれが受賞理由ではないでしょうか」
1970年代前半にハーヴァード大学で音楽を修めたアダムズは、ジョン・ケージの著作『サイレンス』に衝撃を受け、アカデミズム偏重の作曲に見切りをつけるとサンフランシスコに移住し、当地の音楽院で教鞭を執り始めた。その後、彼はスティーヴ・ライヒ、フィリップ・グラス、テリー・ライリー、ラ・モンテ・ヤングらの音楽と出会い、彼らの影響、すなわちパルスや反復音形の使用を特徴とするアメリカン・ミニマル・ミュージック(狭義のミニマル・ミュージック)の影響を受けながら、ピアノ曲《フリジアン・ゲート》(1977)や弦楽七重奏曲《シェイカー・ループス》(1978)といった作品を作曲していった。しかしながら、アダムズは上記4人のミニマリストと異なり、大編成を用いた音楽の作曲にも早くから興味を示し始めていた。もっとも、アダムズがミニマリズムに基づく管弦楽曲を書こうとしても、その参考となるような作品はこの世に存在していなかったので(1970年代末まで、ライヒもグラスも大編成のための作曲を手がけていなかった)、アダムズは試行錯誤しながら独力で大編成のミニマル作品――《コモン・トーンズ・イン・シンプル・タイム》 (1979)、合唱と管弦楽のための《ハルモニウム》(1980)、管楽セクション、打楽器、声楽とピアノのための《グランド・ピアノラ・ミュージック》(1982)、そして《ハルモニーレーレ》(1985)――を生み出していく。
今回アダムズが都響を指揮して演奏する《ハルモニーレーレ》は、曲名に“交響曲”と銘打たれていないものの、実質的には3楽章形式の交響曲として書かれた作品である。パルスや反復語法などのミニマル的手法が使われてはいるが、後期ロマン派を思わせるドラマティックな音楽の構成は、むしろブルックナーやシベリウスなどの交響曲の影響が強い。アダムズ自身、当時を振り返りながら筆者にこう述べている。「確かに私はミニマリズムの影響を受けましたが、単なるミニマリストになろうとは思っていなかったし、他の音楽の影響も絶えず受けてきました」。実際、アダムズは《ハルモニーレーレ》以降の作品で“他の音楽の影響”を明確に表現していくことになるが、その中でも特に大きい影響は、おそらくストラヴィンスキーであろう。
《ハルモニーレーレ》作曲後、アダムズは約2年の歳月をかけてオペラ第1作《中国のニクソン》(1987)を完成させた。この作品でもミニマリズムの影響は顕著だが、それ以上に注目すべきは、かつてストラヴィンスキーが新古典主義作品で試みたようなジャズとクラシックの融合、つまり折衷主義的な音楽が作品全体の基調をなしていたという点である。《中国のニクソン》の副産物として生まれた《主席は踊る》(1985)や《フィアフル・シンメトリーズ》(1988)といった管弦楽曲を聴くと、ジャズ・バンド的な要素をクラシックの文脈に移植していくストラヴィンスキー的な手法を明確に感じ取ることができるだろう。
今回のプログラムに含まれている《アブソリュート・ジェスト》(2012)も、実はストラヴィンスキーの影響から生まれた作品のひとつである。具体的には、ストラヴィンスキーがペルゴレージその他の作曲家の作品を素材に用いた《プルチネルラ》(1919-20)が《アブソリュート・ジェスト》の着想の源になっているのだが、この作品について、アダムズは次のように筆者に述べている。「ストラヴィンスキーもそうですが、ブリテン、シェーンベルク、ベリオといった作曲家たちも、みんな過去の素材を加工してオリジナル作品を作っています。バッハも、ヴィヴァルディやブクステフーデの作品をアレンジしていますし、そういう意味で《アブソリュート・ジェスト》は音楽史の伝統に連なる作品ですね。私の場合は、叙情性と力強いエネルギーを併せ持つベートーヴェンの音楽に、強い結びつきを感じていました。そこで(ストラヴィンスキーが《プルチネルラ》でペルゴレージを引用したように)ベートーヴェンの後期弦楽四重奏曲のスケルツォ楽章から短いフレーズを抜き出し、テレビ音楽制作用の作曲ソフトによって、フレーズを圧縮したり移調したりひっくり返したりしたんです。そういう加工のテクニックは、実はモンテヴェルディ以前の中世音楽でも用いられていますよね。紙の上で加工するか、ソフトを使うかという違いはありますが。弦楽四重奏とオーケストラを直接共演させた例は過去にもほとんどなかったと思いますが、《アブソリュート・ジェスト》がある程度の成功を収めたとするならば、それは弦楽四重奏団をそのままソリストとして使ったからではないかと思っています」
一方、《ハルモニウム》でアダムズが示し始めたもうひとつの傾向、つまり後期ロマン派的な交響曲への傾倒は、1990年代以降に彼が書いた大編成作品の中でますます濃厚に示されていくことになる。カリフォルニアの環境破壊を題材にした《エル・ドラド》(1991)、作曲家ニコラス・スロニムスキーにオマージュを捧げた《スロニムスキーのイヤーボックス》(1996)、フリードリッヒ・シラーの『素朴文学と情感文学』とブルックナーの交響曲第4番《ロマンティック》(1874-88)の和声進行にインスパイアされた《ナイーヴ・アンド・センチメンタル・ミュージック》(1999)、プロヴァンス地方の旅行ガイドブックに想を得た《ガイド・トゥ・ストレンジ・プレイシズ》 (2001)、アメリカ現代音楽の父・アイヴスを題材にした《私の父はチャールズ・アイヴスを知っていた》(2003)、1940~50年代のフィルム・ノワール(犯罪映画)の雰囲気を表現した《シティ・ノワール》(2009)などがそれだ。アダムズはこれらの作品において社会的、文化的、知的、哲学的、個人的関心事を大編成で表現していくマーラー的な手法を用い、曲によっては多楽章形式の交響曲として作曲されている場合すらある。2017年にアラン・ギルバート指揮都響とヴァイオリンのリーラ・ジョセフォウィッツが日本初演した《シェヘラザード.2》も実はそうした系譜に連なる作品のひとつで、見かけはヴァイオリン協奏曲の体裁をとりながら、形式的には4楽章の劇的交響曲として書かれている。
これらの大編成作品に聴かれる劇的性格、つまりドラマティックな要素は、オペラ作曲家としてのアダムズと切り離して論じることがほとんど不可能なので、ここではただ1曲、原爆の父ロバート・オッペンハイマー博士を主人公にした《ドクター・アトミック》の例を挙げておきたい。この作品の中で、オッペンハイマーは原爆の驚異的な破壊力をヒンドゥー教のヴィシュヌ神になぞらえているが、アダムズはその部分の音楽をまるでゴジラが暴れ出すような合唱曲として作曲している。その理由について、アダムズは筆者にこう説明していた。
「1950年代、つまり私が10歳くらいの時に『ゴジラ』をはじめとする怪獣映画をたくさん見ました。それらの作品に共通していたのは、核実験や原爆が原因となり、怪獣や災害が発生するという設定です。当時、ロシアが中国に核爆弾を落とすかもしれないという噂が広がり、社会全体に大きな不安が広まりました。私が見た怪獣映画は、まさにそうした社会不安を反映していたので、ヴィシュヌ神の音楽を怪獣が暴れ出すように作曲したのです」
以上見てきたように、作曲家としてのキャリアをミニマリストとしてスタートさせたアダムズは、単なるミニマリストにとどまらず、作品の中にストラヴィンスキーをはじめとする大作曲家たちの影響をふんだんにとりいれ、オーケストラの聴衆になじみのあるシンフォニックなフォーマットを用いながら、聴衆がとっつきやすい、つまり“アクセスしやすい”形で独創的な音楽を作曲し続けている。だからこそ、冒頭で触れた数字が端的に示しているように、彼の音楽が世界中で広く演奏されているのである。
しかも今回の自作自演の公演曲は、日本初演となる《アイ・スティル・ダンス》(2019)が“祝典序曲”、《アブソリュート・ジェスト》が“協奏曲”、そして《ハルモニーレーレ》が“交響曲”といった具合に、オーケストラの伝統的なプログラミングに則った形で構成されている。その意味では、現代音楽だからといって恐れる必要のない、実に聴きやすく親しみやすいプログラムと言えるだろう。オーケストラを聴く愉しみをとことんまで追求し続ける作曲家、ジョン・アダムズの最適な入門にして最高峰とも言える今回の公演を聴き逃してはならない。