東京都交響楽団

第6回 マーラーと私

取材・文/長坂道子(エッセイスト)Michiko NAGASAKA

 都響創立60周年を記念して、2026年2月に卒寿を迎える桂冠指揮者エリアフ・インバル氏に連続でロング・インタビューを敢行。地中海地域で民俗音楽を耳にした幼き日から、マーラーやブルックナーを指揮する巨匠としての活躍まで。その人生行路を辿ります。
(企画協力/平岡拓也)

1985/86シーズンのマーラー・フェスティヴァルにて

これは僕の音楽だ!

 インバル氏が16年にわたり首席指揮者を務めたフランクフルト放送交響楽団が、その間、誰もが認めるトップレベルのオーケストラに成長したことについて、そして、2回のサイクル(マーラー交響曲全曲演奏会)や伝説的録音、世界各地での演奏旅行を通じ、「マーラー・オーケストラ」として揺るぎないポジションを獲得したことについては、前回、すでに詳しく触れた。フランクフルト放送響と作り上げたマーラー・サウンドのことを含め、このインタビュー・シリーズを通し、氏の口から幾度もその名が言及された作曲家グスタフ・マーラー(1860~1911)であるが、そもそも、マーラーとはインバル氏にとってどのような存在なのだろうか。
 「マーラーは私にとって、全宇宙(the whole cosmos)です」――そう切り出すインバル氏。実は「マーラー自身も、自らの交響曲について、まさにそう言っている」そうだが、「例えば第8番の第2部とそのエンディング。なんと宇宙的な音楽でしょう。大きく、宇宙的な音楽 !」—そう言うや否や、当該箇所のメロディを口ずさむ氏。
 マーラーを「並外れて個性的な人間(very very very unordinary person)」とみなす氏は、その個性のルーツを、まずはマーラーの出自や生育環境に見出す。
 生まれは当時オーストリア帝国の一部だったボヘミア(現在のチェコ)のユダヤ人家庭。「身近にはユダヤ教の伝統があり、“クレズマー(東欧系ユダヤ人の民謡を起源とする音楽)”があった一方で、彼の部屋の窓からは毎日のように、兵隊たちが軍楽に合わせて行進するところが見えるような環境だった」という。そして「クレズマーと軍楽、この2つの要素が彼の音楽に足跡を残したのです」と氏は続ける。
 「彼が6歳か7歳の頃でしたでしょうか、家から遠くないところに森の入り口があって、そこに出かけて自分の空想の世界に迷い込んでしまいました。周りの者が心配して探し出すまで、何時間も木の上に座っていたというのですね」―自然の音とその美しさ、四季の移ろいという不思議、そして自然や宇宙と一体になる瞑想的な状態、こうした側面もまた、マーラーの音楽における非常に強い要素なのだという。
 夢想家の少年マーラーはまた、「少年時代に参加していたコーラスで、モーツァルトやベートーヴェンの音楽にも親しんでいた」そうだが、クレズマー、軍楽、自然の音と共に、そのこともまた、彼の音楽の大きな基盤となり、またそこに影響を与えたのだった。「過去や同時代の偉大な作曲家たち、つまり、過去の遺産こそが、私たちの歴史上のすべての偉大な作曲家たちに最も大きな影響を与えたのではないでしょうか」
 そんなマーラーとインバル氏との最初の出会いは14、15歳の頃。イスラエル・フィルの演奏を通してだった。何しろマーラーのレコード自体がそもそも希少だった上、当時のイスラエルでは非常に入手困難。ライヴで聴く以外、マーラーに触れる機会がなかったからだ。
 「その時聴いたのは交響曲第1番《巨人》でしたが、耳にした最初の瞬間に、これは僕の音楽だ、と思いました。私の内なる生、そこにマーラーの音楽が直接的に語りかけたのです」
 初めてのマーラーを聴きながら、インバル少年は、「あ、ここにベートーヴェンが、あ、ここにシューベルトが聴こえる、という気がした」そうだが、その日を契機に始まったマーラーとの長いつき合いの中、「時間が経つにつれて、それはマーラーのように聴こえるようになり、やがて、マーラーにしか聴こえなくなった」という。

12の章からなる大河小説

 マーラーの音楽には「生への憧憬、困難、恐怖、アイロニーといったものが全て含まれており、ある意味でショスタコーヴィチの交響曲との類似点がある」と考えるインバル氏。「しかしマーラーにおいては、そうしたものがさらに直接的に聴こえてくるのだ」と。
 それはおそらく「マーラーの音楽が自叙伝のようなものだから。10の交響曲と《大地の歌》、それに歌曲などを合わせた12の章からなる大河小説といってもいいでしょう。彼自身がそう意図したかどうかはともかく、私にはそんなふうに聴こえるのです」
 大河小説としてのマーラー。だがそれは「理解が簡単というわけではない」と氏は言う。「偉大な指揮者、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(1886~1954)やカール・ベーム(1894~1981)、ヴォルフガング・サヴァリッシュ(1923~2013)などもマーラーをあまり振っていません」。実際、サヴァリッシュは、1960年代末に「僕はマーラーの音楽がよく分からないんだ」とインバル氏に打ち明けたそう。もっともそのサヴァリッシュも、後年にはマーラーの音楽を自分のレパートリーに加えるようになったそうではあるが。インバル氏をはじめとする幾人かが積極的に紹介するまで、ラテン系諸国でマーラーがほとんど知られていなかったことについては、前回すでに触れた。
 「マーラーの音楽は主題とその発展というベートーヴェンやシューベルトの作曲伝統から育ったものですが、 それはまた苦悩から生まれた音楽なのです」とインバル氏は語る。「マーラーが人生で受けた苦悩は想像を絶するものです。最初は指揮者として、力のない小さなオペレッタのオーケストラと仕事をし、支配人は暴君。家族の悲劇的な死や、経済的な困難、キャリア上の苦労に見舞われる中で、彼はこれらの曲を書いたんですね。このことは、彼の内的な生は、外的な実際的な生よりずっとずっと豊かであったことを示しています」
 そんなマーラーの音楽が今日、かつてないほど人気があり、若い人たちすら、彼の音楽を聴いてそこに自己を同一化させうるのは一体なぜなのか、と氏は問いかける。「それは彼が人類の問題に、憧憬や夢や希望や恐怖といった感情に、直接語りかけるからです。今の世界を見てごらんなさい。どれだけの危険、どれだけのカタストロフィへの可能性に満ちているでしょう」
 しかしマーラーの時代も「その意味では今日とさほど違いはなかった」。マーラーが亡くなったのは1911年だったが、その頃には第一次世界大戦(1914~18)に向かう事象が出揃いつつあったから。
 「人間は歴史から学ぶことをしない。指導者たちの多くは権力の亡者でエゴイストで偏執狂的。世の大半の人間は平和を望み、紛争など欲していないのに」……マーラーから世界の現況へと話題は移り、インバル氏は一度ならず、大きなため息をつくのだった。

交響曲第10番とデリック・クック

 インバル氏のキャリアの初期の頃、BBC交響楽団とマーラーの交響曲第10番を演奏する機会があった。第10番といえば「何しろ未完なので補筆する必要があり」、その時演奏したのは英国人音楽学者のデリック・クック(1919~76)による補筆の最初の完全な演奏版(第2稿)だった(※1)。
 リハーサルにはクック自ら同席、オーケストレーションに関するいくつかの点についてインバル氏と貴重な意見交換をした。「たとえば第1楽章は、音が多すぎるからこれは変えなくてはということを話し合い、後の改訂版(第3稿第1版)では、そのあたりを取り入れ、より良いものになっていました」
 その改訂版をロンドンのフィルハーモニア管弦楽団で演奏したところ、これが欧州で大きな評判となり「誰も彼もが第10番をやってくれと依頼してくるようになった」という。この第10番旋風は何年にもわたって続き、まだマーラーがほとんど知られていなかった当時のスペインですら、インバル氏が初めて指揮したマーラーはやはり第10番だった。
 第10番の補筆について、インバル氏が「ベストなものだ」と考えるクック版(※2)。「クックは非常な謙虚さで何年もかけてこの作業に臨み、マーラーの精神にぴったりと寄り添うようにして、彼が最後に書いた交響曲と同じようなオーケストレーションを用いて完成させたのです」。しかしそのクックは57歳で急逝してしまう。
 「ちょうどワーグナーの大作『ニーベルングの指環』について書き始めたところで、彼はテクストの方から取り掛かり、これについては完成しましたが、音楽の方に着手することなく亡くなってしまった(※3)。『指環』について、非常に価値あるものを書き得たに違いないのに」とその早逝を悼む。
 マーラー研究といえばもう1人、アンリ=ルイ・ドゥ・ラ・グランジュ(1924~2017)という著名な音楽学者がいる。インバル氏とは個人的に親しい友人でもあり、「私以上にマーラーに夢中な人(笑)」とのことだが、その著作に全3巻、数千ページにも及ぶマーラー研究書があり「マーラーの人生を知りたかったら必読の書」だという(※4)。その彼といつもの習慣でマーラー談議をしていた際のこと、「彼が私に交響曲第4番第3楽章のオリジナル譜を見せてくれたのです。私は『これは(いつも演奏している楽譜と)違うよ』と言い、彼は『本当か』と驚きました。彼が見せてくれたのは最初の方のヴァージョンで、後の版と異なるところがたくさんありました」
 初期のヴァージョンにマーラーが加えた変更は「実に素晴らしいもの」で、「例えば、ただ和音を鳴らし続ける代わりに、マーラーは、まずクラリネットをストップさせ、弦楽器をストップさせ、いくつか高音だけを残したんですね。そうすることで、あたかも天に昇っていくような感じになったのです」。この初期ヴァージョンをマーラーはおそらく指揮したことはなく、彼の内なる耳でこれを聞き、それに修正を施したのだろう、と氏は推測する。
 第4番に限らず、他の交響曲でも、自ら指揮しながら、あるいは内なる耳で曲を再現しながら、マーラーは数々の修正を施した。たとえば「第9番では修正後の第1楽章冒頭のダイナミクス(強弱)がまるで違っていた」。いずれにしても「彼の加えた変更で曲は常により良いものとなった」と氏は考える。
 交響曲第1番《巨人》は、当初全5楽章の交響詩として初演されたが、マーラーが「交響曲」として改訂する過程で第2楽章「花の章(Blumine)」はカットされた。これを復元して5楽章構成で交響曲第1番を演奏する指揮者もいるが、インバル氏はそのやり方を否定する。「最も重要な点は、マーラー自身がこれを削除したということ。私は第1番をより良い形で演奏したい。もし『花の章』を指揮するなら、この楽章の存在を私が知っている、それを見せるためだけになってしまう。交響曲にとって、それが良いこととは思いません。この曲は『花の章』なしの方がベターです」



『マーラー:交響曲第10番』スコア
(デリック・クック補筆による、草稿に基づく交響曲第10番の演奏用ヴァージョン)
Faber Music Ltd. 1989

※1
 マーラーの交響曲第10番(全5楽章)の自筆草稿は、第1楽章は完成に近く、第2・第3楽章は一部がスコア化されていた。以上とは別に、作品全体のパーティセル(4段または5段の五線譜に記された略式スコア)が遺されている。国際マーラー協会は「全集版」スコアとして第1楽章のみを1964年に出版。それ以降、交響曲第10番といえば第1楽章(アダージョ)を演奏するのが一般的となった。
 BBCはマーラー生誕100年に当たる1960年に特別プログラムを予定、そのメイン・イベントが交響曲第10番補筆稿の放送だった。補筆を依頼されたデリック・クックの作業は20年近くにおよび、以下のヴァージョンが遺された。

第1稿:1960年/資料不足のため、第2楽章と第4楽章に欠落箇所がある。ベルトルト・ゴルトシュミット(1903~96)指揮フィルハーモニア管弦楽団による放送録音で世に紹介された(1960年12月19日オンエア)。

第2稿:1960~64年/第1稿の放送について、マーラーの妻アルマ(1879~1964)から猛烈な抗議が寄せられた。しかし録音を聴いた彼女は翻意し、補筆に正式な承認を与える。並行してクックは新たな草稿を得ることができたため、第1稿の欠落箇所を補填した第2稿が成立した。初演は1964年8月13日、ベルトルト・ゴルトシュミット指揮ロンドン交響楽団。

第3稿第1版:1966~72年(1976年出版)/第2稿にさらに改訂を加え、クックが「最終稿」と呼んだもの。初演は1972年10月15日、ウィン・モリス指揮ニュー・フィルハーモニア管弦楽団。1976年に出版された。エリアフ・インバルが最も信頼を寄せるのはこの版である。

第3稿第2版:1989年/クックの没後も、編纂作業に協力していたベルトルト・ゴルトシュミット、コリン&デイヴィッド・マシューズ兄弟(コリン1946~/デイヴィッド1942~)による細部の検証が続き、それを反映したスコアが1989年に出版された。

※2
 交響曲第10番のクック補筆版スコア(1989年)の表紙には「デリック・クック補筆による、草稿に基づく交響曲第10番の演奏用ヴァージョン(A Performing Version of the Draft for the Tenth Symphony prepared by Deryck Cooke)と記されている。声部が欠落している草稿に対し、演奏できるよう慎重に補筆を行ったことの表明であり、「完成版(Complete Version)」とは謳っていない。
 交響曲第10番の補筆版には、デリック・クック版以外にクリントン・カーペンター版(1949年/1966年改訂)、ジョセフ・ウィーラー版(1965年)、レモ・マゼッティ版(1986年/1997年改訂)、ルドルフ・バルシャイ版(2000年)、ニコラ・サマーレ&ジュゼッペ・マッツーカ版(2001年)、ヨエル・ガムゾウ版(2010年)などがあり、盛大に音を補った版も存在する。

※3
 史上初の『ニーベルングの指環』全曲セッション録音はゲオルグ・ショルティ指揮ウィーン・フィルによって行われた(デッカ/1958~65年)。この録音が発売されるに当たって、デリック・クックは音声解説(ナレーション)を担当。発売後、クックは改めて『ニーベルングの指環』の壮大な解説書を書き始めたが、彼が脳出血で他界したため未完に終わった。生前に完成した部分は『私は世界の終わりを見た~ワーグナーの「ニーベルングの指環」研究(I saw the World End: A Study of Wagner’s Ring)』として出版された。

※4
アンリ=ルイ・ドゥ・ラ・グランジュ『グスタフ・マーラー』(フランス語、全3巻)
第1巻『栄光への道(1860-1899)』Paris: Fayard, 1979, 1149 pages
第2巻『ウィーンの黄金時代(1900-1907)』Paris: Fayard, 1983, 1278 pages
第3巻『打ち倒された天才(1907-1911)』Paris: Fayard, 1984, 1361 pages

後に増補改訂版(英語、全4巻)も出版された。

セント・ポール大聖堂に出現した宇宙

 マーラー自身が非常に高く評価していたオランダ人指揮者ウィレム・メンゲルベルク(1871~1951)は、「マーラーの交響曲第9番のために39回リハーサルした」という伝説的逸話が残っている。「現在ではそうした贅沢はとてもかなわない」けれど、逆にインバル氏がマーラーにかけた「最短練習時間」の思い出があるという。
 それは「ロンドンのセント・ポール大聖堂で行われた音楽祭」でのこと。予算の都合があり、フィルハーモニア管弦楽団とのリハーサルはたったの2回。ゲネプロもなかったというが「何度もストップして練習。通しは一度もやらずマーラーが望んだディテールを全てその通りにやることを徹底的に訓練した」という。さらに「音を出すと6秒くらい残響が残る」セント・ポール大聖堂の音響の問題もあった。「それを念頭に置き、たとえばホルンのあるコラールの箇所で、全音符であるべきところを4分音符にする、など、数々の調整が必要でした。ホルン奏者たちは、本当にそれでいいのか、と非常に心配しましたが、大丈夫だ、私を信じなさい、と説得しました」
 そして迎えた本番。「天上のもの(heavenly)といえる結果でした ! さらにオーケストラは本当に素晴らしく演奏してくれました。私もとても幸せだったし、何より彼らが幸せでした。非常によく練習し、そして深くインスパイアされたからこそ、そこにはマーラーの音楽そのもの、宇宙そのものが出現したのです」
 セント・ポール大聖堂に響きわたる、忘れがたき交響曲第2番《復活》であった。




【CD】
マーラー:交響曲第10番
(デリック・クックによる演奏用ヴァージョン)
Disc 1
デリック・クックがピアノを弾きながら行った、マーラーの交響曲第10番についてのレクチャー(オーケストラ演奏録音の断片を含む)
〈1960年12月19日/BBCからオンエア〉
Disc 2
マーラー:交響曲第10番(デリック・クック補筆第1稿によるスタジオでの演奏)
ベルトルト・ゴルトシュミット指揮 フィルハーモニア管弦楽団
〈1960年12月19日/BBCからオンエア〉
Disc 3
マーラー:交響曲第10番(デリック・クック補筆第2稿によるライヴ録音)
ベルトルト・ゴルトシュミット指揮 ロンドン交響楽団
〈1964年8月13日/ロンドン、ロイヤル・アルバート・ホール〉

[TESTAMENT/SBT3. 1457](3枚組)
(ジャケット写真はデリック・クック)