東京都交響楽団

東京都交響楽団2015~2024演奏史

第1回 大野和士が音楽監督に就任
   (2015年4月~2017年3月)

文/東条碩夫(音楽評論) Hiroo TOJO

シュニトケ:合奏協奏曲第4番=交響曲第5番
(ヴァイオリン/矢部達哉、オーボエ/広田智之、チェンバロ/鈴木優人)
(大野和士 音楽監督就任記念公演1 第786回B定期/ 2015年4月3日/サントリーホール)

 『東京都交響楽団50年史』(2015年発行)に掲載した「東京都交響楽団50年演奏史」の続編として、2015年度以降の都響の歴史を振り返ります(5回予定)。「50年演奏史」と同じく東条碩夫氏にご寄稿いただきます。

大野和士・第5代音楽監督時代の幕開き

 ガリー・ベルティーニ(音楽監督在任1998年4月~2005年3月)の退任後空席だった音楽監督のポストへ、ついに2015年4月、都響ファンの歓呼を浴びて大野和士が就任した。都響もそれまでの間、常任指揮者ジェイムズ・デプリーストやプリンシパル・コンダクターのエリアフ・インバルを中心とした指揮者陣の活躍により高度の演奏水準を保ち続けていたことは言うまでもないが、大野和士の登場が新鮮な期待を集めた理由のひとつは、彼がその2年前の記者会見(2013年6月)で「広角打法」という表現を使い、「レパートリーの拡大による活動の活性化」を基本方針の一角に挙げていたことにもあるだろう。
 その言葉通り、大野は4月のA定期でマーラーの交響曲第7番を指揮する一方、B定期ではシュニトケの《合奏協奏曲第4番=交響曲第5番》にベートーヴェンの交響曲第5番という斬新な組み合わせのプログラムを披露した。いかにも新任の音楽監督らしい意欲的な選曲と言えたであろう。以降、大野と都響の快進撃が続く。同月には「東京・春・音楽祭」に出演してベルリオーズの《レクイエム》を演奏、また8月のサントリーホールの「サマーフェスティバル」では、ジャズ・コンボとの協演を含む古今の音楽作品および政治家の演説のコラージュを交えた大作―ベルント・アロイス・ツィンマーマンの《ある若き詩人のためのレクイエム》を日本初演した。さらに同年11月には都響創立50周年を記念してベルリン、ウィーンなどへの演奏旅行を実施するが、それに先立つB定期で演奏したツアーと同一のプログラム――創立50周年記念委嘱作品たる細川俊夫の《嵐のあとに》(世界初演)を含む――での快演も忘れ難い。それは以前よりも肩の力の抜けた、豊かな拡がりを感じさせるようになった演奏で、特にドビュッシーの《海》は、目覚ましく豊麗さを増していた都響の音色を象徴したものであった。
 そして2016年6月のA・B定期(同一プログラム)は、大野と都響の最良の演奏が達成されたものと言っていいだろう。ドビュッシーの《夜想曲》での最弱音は美しく、イアン・ボストリッジをソリストに迎えたブリテンの《イリュミナシオン》は瑞々しく多彩で題名通りの「光」に満ち、スクリャービンの《法悦の詩》は色彩的な音色と怒涛の大音響で聴衆を沸かせたのだった。いまや大野と都響の呼吸は、完璧に合っていたのである。
 続いて同年11月も大野の独壇場と言うべく、サントリーホール開館30周年記念演奏会でターネジの現代世界の苦悩を織り込んだ大作《Hibiki》を世界初演したほか、定期ではフォーレの組曲《ペレアスとメリザンド》、シェーンベルクの交響詩《ペレアスとメリザンド》、デュティユーのヴァイオリン協奏曲《夢の樹》、ベルクの《アルテンベルク歌曲集》、ラヴェルの左手のためのピアノ協奏曲を並べるという「広角打法」そのものの多様な、かつ相互に関連性を持たせたプログラムで見事な演奏を聴かせた。また翌2017年3月の都響スペシャルでは「シェイクスピア讃」と題し、文豪の作品に因んだ名曲を並べるというテーマ性を持たせた選曲を披露したが、その中でもプロコフィエフの《ロメオとジュリエット》は、筆者の聴いた大野と都響の演奏の中でも、これまた間違いなくトップクラスのものと言えたであろう。
 なおこの間の2016年3月、故・若杉弘音楽監督時代(1986年4月~1995年3月)に開始(1993年12月)された「作曲家の肖像」シリーズが、106回にわたったその歴史を閉じた。大野は武満徹の《冬》、柴田南雄の《遊楽》、池辺晋一郎の交響曲第9番を指揮して、シリーズを輝かしく締め括っている。なおそれに代わるような形で「C定期」が2016年4月に新設された。
マーラー:交響曲第7番
マーラー:交響曲第7番 終演後
(大野和士 音楽監督就任記念公演2 第787回A定期/ 2015年4月8日/東京文化会館)

来日指揮者たちも「広角打法」の選曲を

 レパートリーの拡大を掲げる大野音楽監督の方針に呼応し、来日指揮者たちの指揮による定期演奏会にも、それまで以上に多彩さが加わった。早くも2015年5月にはベルトラン・ド・ビリーがブラームスの第2交響曲にデュティユーの第2交響曲《ル・ドゥーブル》を組み合わせるなどしてプログラムに新鮮味を出し、一方トーマス・ダウスゴーはサーリアホのクラリネット協奏曲《D’OM LE VRAI SENS》を日本初演、ニールセンの第3交響曲《広がりの交響曲》でも明晰怜悧な音楽づくりで、都響からブリリアントで精妙な演奏を引き出した。また続く6月には、アンドリュー・リットンがバーバーの序曲《悪口学校》やコープランドの《静かな都会》など珍しい曲を「作曲家の肖像」シリーズで、オレグ・カエターニがブリテンの《ロシアの葬送》とタンスマンの《フレスコバルディの主題による変奏曲》を定期で取り上げる、といった具合である。同年10月にペーター・ダイクストラが指揮した、モーツァルトの《レクイエム》にリゲティの《ルクス・エテルナ》とシェーンベルクの《地には平和を》を組み合わせたプログラムなど、「広角打法」の典型的な例であったろう。クリスチャン・ヤルヴィもペルトの交響曲第3番とライヒの《フォー・セクションズ》(日本初演)などを組み合わせるという急進的な定期を指揮している(2016年5月)。
 この他、オリヴァー・ナッセン(2015年9月)、マルク・ミンコフスキ(同12月)をはじめ、多くの指揮者が定期に登場してそれぞれの快演を聴かせたが、その中でもフランソワ=グザヴィエ・ロトが指揮したベートーヴェンの《英雄交響曲》、ストラヴィンスキーの《ペトルーシュカ》《火の鳥》などでの鋭角的な演奏(2016年4月)、当時首席客演指揮者だったヤクブ・フルシャによるマルティヌーの第5交響曲での流麗な演奏(2016年12月)などが強い印象を残した。またアラン・ギルバートは2016年1月にワーグナーの『ニーベルングの指環』抜粋を、同年7月にはマーラーの第5交響曲を指揮して好評を収め、のちの首席客演指揮者就任への下地を築いていく。日本人指揮者の客演の中では、下野竜也が指揮したドヴォルザークの第4交響曲(2015年9月)がとりわけ光っていただろう。
小泉和裕 ブルックナー:交響曲第5番
小泉和裕 ブルックナー:交響曲第5番
(第823回B定期/ 2017年1月10日/サントリーホール)

独墺の名曲は小泉和裕、不動の人気インバル

 終身名誉指揮者の小泉和裕は、最も得意とする独墺系のスタンダード・レパートリーを専ら引き受けたかのような感になった。R. シュトラウスの《家庭交響曲》などを指揮して2016年1月の第800回定期を祝ったのは彼であり、また2017年1月に指揮したブルックナーの第5交響曲は、「シンフォニーをきちんと演奏できるオーケストラ」を理想とする小泉の面目躍如たる演奏である。
 一方、桂冠指揮者となっていたエリアフ・インバルは、新機軸を披露する。2016年9月の3つの定期(インバル80歳記念/都響デビュー25周年記念)でエルガーのチェロ協奏曲、シューベルトの《ザ・グレート》、グリンカの『ルスランとリュドミラ』序曲、プロコフィエフのピアノ協奏曲第2番、バルトークの《管弦楽のための協奏曲》、モーツァルトのヴァイオリン協奏曲第3番、ショスタコーヴィチの第8交響曲という幅広いレパートリーを指揮して話題を集めたが、それに先立つ3月定期でもブリテンの《シンフォニア・ダ・レクイエム》とバーンスタインの第3交響曲《カディッシュ》(語りのテキストはサミュエル・ピサール版を使用)を指揮した。後者は聴衆の投票による「思い出に残った公演2015年度」の第1位に選ばれるという、相変わらずの人気の高さであった。
エドワード・エルガー
バーンスタイン:交響曲第3番《カディッシュ》終演後
(第802回B定期/ 2016年3月24日/サントリーホール)左からエリアフ・インバル(指揮)、リア・ピサール&ジュディス・ピサール(語り)、パヴラ・ヴィコパロヴァー(ソプラノ)

写真/©堀田力丸