Essay
ブルックナーの交響曲第9番 第4楽章補筆完成の試み
本田裕暉 Hiroaki HONDA(音楽評論)
ブルックナー:交響曲第9番(第1~3楽章/ノヴァーク版)
エリアフ・インバル指揮 東京都交響楽団(第752回A定期/2013年5月9日/東京文化会館)
インバルはフランクフルト放送響を指揮して、1982~92年にブルックナーの交響曲全集を録音。その中には、交響曲第9番第4楽章(サマーレ=マッツーカ版/1986年録音)も含まれている。インバルはブルックナーの初稿の魅力を世界に知らしめた先駆者であるだけでなく、第9番第4楽章(補筆完成版)演奏に早くから取り組んだパイオニアでもあった。
©Rikimaru Hotta
エリアフ・インバル指揮 東京都交響楽団(第752回A定期/2013年5月9日/東京文化会館)
インバルはフランクフルト放送響を指揮して、1982~92年にブルックナーの交響曲全集を録音。その中には、交響曲第9番第4楽章(サマーレ=マッツーカ版/1986年録音)も含まれている。インバルはブルックナーの初稿の魅力を世界に知らしめた先駆者であるだけでなく、第9番第4楽章(補筆完成版)演奏に早くから取り組んだパイオニアでもあった。
©Rikimaru Hotta
◆「未完成」となった交響曲第9番
アントン・ブルックナー(1824~96)が自身最後の交響曲となった第9番ニ短調に着手したのは、1887年夏のことだった。ポーランド、クラクフで確認された第1楽章のスケッチには「1887年8月12日」の日付が記されており、これは前作・第8番ハ短調の第1稿を書き上げたわずか2日後にあたる。しかし、第9番の創作はまもなく中断されることとなった。作曲家は同年9月19日に第8番の楽譜を指揮者ヘルマン・レーヴィ(1839~1900)に送付したのだが、この新作はレーヴィを困惑させ、演奏は困難と判断されたのである。これを受けてブルックナーは第8番の改訂(~1890年3月10日)に着手。さらに第3番などの旧作の改訂にも乗り出した(ブルックナーの生涯における「第2次改訂の波」)。
その結果、第9番の作曲再開は1891年まで持ち越されることになり、着手から7年以上の歳月を経て、ようやく1894年11月30日に第1楽章から第3楽章までの総譜が完成された。健康の衰えにより、老齢の作曲家が続く第4楽章に着手したのは翌1895年5月24日のことである。ここから1896年10月11日に世を去る当日朝まで、ブルックナーは第9番フィナーレの作曲に取り組み続けた。
かくして未完成に終わった第9番は、作曲家の死から6年半後の1903年2月11日にウィーンにて、フェルディナント・レーヴェ(1865~1925)の指揮で第1~3楽章が初演され(ただし、これはレーヴェによって大幅に手を加えられたかたちでの演奏だった)、同年にドブリンガー社から初版譜も出版された。この初演以来ブルックナーの第9番は、さながらシューベルトの交響曲ロ短調D759のように「未完成でありながら完成された作品」というイメージを纏わされており、今日においても注釈なしに「第9番」と書かれている場合には、第1楽章から第3楽章の演奏・録音を指すのが一般的だ。しかし、ブルックナーが最後の1年半ほどの貴重な時間を費やして第4楽章の創作と向き合い続け、確認されている範囲でもじつに490頁にもおよぶ手稿を遺していることを考えれば、現状の3楽章のかたちはあくまでも「未完成」状態にあると言えるだろう。
不幸なことに、ブルックナーが遺した第4楽章のための手稿は、作曲家の死後に「ハゲタカの急襲」(作曲家の主治医リヒャルト・ヘラーの言葉)に遭い、記念や転売のために持ち出されて散逸してしまった。そのため、これらの自筆譜はウィーンのオーストリア国立図書館を中心に複数の図書館に分散して保存されており、一部は紛失あるいは個人所蔵のためにアクセス不能な状態となっている。
その結果、第9番の作曲再開は1891年まで持ち越されることになり、着手から7年以上の歳月を経て、ようやく1894年11月30日に第1楽章から第3楽章までの総譜が完成された。健康の衰えにより、老齢の作曲家が続く第4楽章に着手したのは翌1895年5月24日のことである。ここから1896年10月11日に世を去る当日朝まで、ブルックナーは第9番フィナーレの作曲に取り組み続けた。
かくして未完成に終わった第9番は、作曲家の死から6年半後の1903年2月11日にウィーンにて、フェルディナント・レーヴェ(1865~1925)の指揮で第1~3楽章が初演され(ただし、これはレーヴェによって大幅に手を加えられたかたちでの演奏だった)、同年にドブリンガー社から初版譜も出版された。この初演以来ブルックナーの第9番は、さながらシューベルトの交響曲ロ短調D759のように「未完成でありながら完成された作品」というイメージを纏わされており、今日においても注釈なしに「第9番」と書かれている場合には、第1楽章から第3楽章の演奏・録音を指すのが一般的だ。しかし、ブルックナーが最後の1年半ほどの貴重な時間を費やして第4楽章の創作と向き合い続け、確認されている範囲でもじつに490頁にもおよぶ手稿を遺していることを考えれば、現状の3楽章のかたちはあくまでも「未完成」状態にあると言えるだろう。
不幸なことに、ブルックナーが遺した第4楽章のための手稿は、作曲家の死後に「ハゲタカの急襲」(作曲家の主治医リヒャルト・ヘラーの言葉)に遭い、記念や転売のために持ち出されて散逸してしまった。そのため、これらの自筆譜はウィーンのオーストリア国立図書館を中心に複数の図書館に分散して保存されており、一部は紛失あるいは個人所蔵のためにアクセス不能な状態となっている。
◆第4楽章補筆完成の試み
フィナーレのための遺稿が初めて公にされたのは、1934年のことだった。オーストリアの音楽学者アルフレート・オーレル(1889~1967)が旧全集第9巻への補遺として草稿とスケッチを出版したのである。このオーレル版が契機となって、音楽学者や音楽家たちによる数々の第4楽章補筆完成の試みが行われていくことになる。
その最初の例としては、ドイツの音楽学者フリッツ・エーザー(1911~82)による主題提示部のオーケストレーションが挙げられる。これは、ブルックナーが1894年11月にウィーン大学での講義の中で「私がこの曲の完成前に死ぬことがあれば、《テ・デウム》を第4楽章に使ってほしい」と語ったことを受けて、《テ・デウム》への導入としてつくられたものであり、1940年10月12日にライプツィヒで演奏された。
その後、イタリアのエドワード・ニールとジュゼッペ・ガスタルディによる試み(1962)などを経て、1969年にはオーストリアの指揮者・作曲家エルンスト・メルツェンドルファー(1921~2009)が670小節から成る終楽章を完成。同年11月にグラーツにて自身の指揮で初演した。
その最初の例としては、ドイツの音楽学者フリッツ・エーザー(1911~82)による主題提示部のオーケストレーションが挙げられる。これは、ブルックナーが1894年11月にウィーン大学での講義の中で「私がこの曲の完成前に死ぬことがあれば、《テ・デウム》を第4楽章に使ってほしい」と語ったことを受けて、《テ・デウム》への導入としてつくられたものであり、1940年10月12日にライプツィヒで演奏された。
その後、イタリアのエドワード・ニールとジュゼッペ・ガスタルディによる試み(1962)などを経て、1969年にはオーストリアの指揮者・作曲家エルンスト・メルツェンドルファー(1921~2009)が670小節から成る終楽章を完成。同年11月にグラーツにて自身の指揮で初演した。
◆キャラガン版
1980年代に入ると、今日でも演奏機会の多い補筆完成版が登場し始める。そのひとつが、アメリカのブルックナー研究者ウィリアム・キャラガン(1937~)が1979年から83年にかけて書き上げたものであり、1984年1月8日にニューヨークのカーネギー・ホールにて、モーシェ・アツモンの指揮で初演され、翌1985年8月にはヨアフ・タルミ率いるオスロ・フィルによって録音された[Chandos,CHAN8468~69]。遺された資料をうまく組み立てて、音楽的にも楽しめるかたちで提示している点で、意義深い試みであったと感じられる補筆である。なお、このタルミ盤には「フィナーレのためのオリジナル・スケッチ」と題したトラックも併録されていた。
キャラガンはその後も2017年まで折に触れて改訂を施しており、内藤彰指揮東京ニューシティ管弦楽団(現パシフィックフィルハーモニア東京)による2006年改訂版[デルタ・クラシックス,DCCA0032]やゲルト・シャラー指揮フィルハーモニー・フェスティーヴァによる2010年改訂版[Profil,PH11028]などで聴くことができる。
キャラガンはその後も2017年まで折に触れて改訂を施しており、内藤彰指揮東京ニューシティ管弦楽団(現パシフィックフィルハーモニア東京)による2006年改訂版[デルタ・クラシックス,DCCA0032]やゲルト・シャラー指揮フィルハーモニー・フェスティーヴァによる2010年改訂版[Profil,PH11028]などで聴くことができる。
◆サマーレ=マッツーカ版
キャラガン版に続いて登場した重要な補筆が、サマーレ=マッツーカ版である。本補筆はイタリアの指揮者・作曲家ニコラ・サマーレ(1941~)と作曲家ジュゼッペ・マッツーカ(1939~2017)によって1983年から85年にかけて書かれ、リコルディ社から出版された。このサマーレ=マッツーカ版は、ヘッセン放送協会での放送初演に向けて1985年12月にエリアフ・インバルとフランクフルト放送響によって収録され、翌1986年1月3日に放送。同年2月18日にペーター・ギュルケとベルリン放送響によって公開初演。9月にはインバル指揮フランクフルト放送響によって録音され、テルデック・レーベルからリリースされた[ワーナー・クラシックス,WPCS12440~50]。また1988年にもゲンナジー・ロジェストヴェンスキー率いるソビエト国立文化省交響楽団によって録音され、注目を集めることになる[メロディア,BVCX38015~6]。
◆SPCM版
そして、このサマーレとマッツーカの試みが起点となって、SPCM(サマーレ、フィリップス、コールス、マッツーカ)版の約40年にわたる歴史がスタートする。1980年代後半にマッツーカがプロジェクトから離脱する一方で、1987年には音楽学者ベンヤミン=グンナー・コールス(1965~2023)が加わり、サマーレとともに改訂作業を開始。さらに1990年には、サマーレの招きに応じて、「SPCM」の4人目、音楽学者のジョン・A・フィリップスが参加し、資料のより詳細な分析とコーダの再構築が行われた。その成果であるSPCM演奏用ヴァージョン・スコアは1992年に出版、翌1993年2月16・17日にクルト・アイヒホルン指揮のリンツ・ブルックナー管弦楽団によって録音された[カメラータ・トウキョウ,CMCD10008~16]。このSPCM版はまもなく1996年に改訂版が出され、こちらは1998年4月にヨハネス・ヴィルトナー率いるノイエ・フィルハーモニー・ヴェストファーレンによって演奏・録音されている[Naxos,8.555933~34]。
これら一連の補筆改訂作業における調査や分析は、本誌曲目解説でフィリップス自身も言及しているように、第2次全集版におけるフィリップス校訂による『交響曲第9番ニ短調 フィナーレ(現存する資料による自筆譜の再構築)』(1994/99)や自筆譜ファクシミリ(1996)の出版にもつながってゆく。さらに1999年には現存するフィナーレの断片を集めた演奏譜もフィリップスによって編まれ、同年11月にニコラウス・アーノンクールとウィーン響によって初演された。アーノンクールは2002年にこの第4楽章フラグメントをウィーン・フィルとも演奏しており、指揮者による解説(ドイツ語・英語)も含めた録音がリリースされている[RCA,BVCC34121~2]。
SPCM版フィナーレは、2004年以降再びコールスとサマーレによって改訂され、2005年と2008年に改訂版が出版されることになる(マルクス・ボッシュとアーヘン響が録音[Coviello,COV30711])。この2008年版に含まれる修正を施したかたちのフィナーレが、2007年11月にダニエル・ハーディング指揮のスウェーデン放送響によってストックホルムで初演されて成功を収めると、当初はSPCM版に懐疑的な目を向けていたサイモン・ラトルの評価も変わってきたようだ。そして、ラトルはベルリン・フィルとともに4楽章版・交響曲第9番を演奏することを決意。2011年にさらなる改訂が加えられ、2012年に「決定的に改訂された新版」として出版されたSPCM 2011年改訂版が取り上げられることとなった。ラトルはまず2011年10月に本版をブンデスユーゲント管弦楽団とともに演奏し、コールスも交えて解釈の検討を行ったうえで、2012年2月のベルリン・フィル公演に臨んだ。その演奏は当時のEMIレーベルによって録音、リリースされて反響を巻き起こした[ワーナー・クラシックス,WPGS50002~3]。無論、フィナーレの受け取り方は聴き手によって異なるだろうが、SPCM版の存在と補筆完成の可能性を広く音楽ファンに知らしめた点において、ラトル盤が果たした功績は大きい。
以上のように、ヘフリッヒ社から出版された2011年改訂版でSPCM版の改訂作業は一応の決着をみたわけだが、フィリップス自身はなおも再考の余地があると考えていたようだ。特に、フーガ部分の欠落を埋めるために初期のスケッチを使用したことや、1992年版以来ほとんど変更が加えられていないコーダについて懐疑的であり続けていたのだという。2021年9月、フィリップスは終楽章のオルガンのための編曲を依頼されたのをきっかけに、再びフィナーレの改訂作業に乗り出した。同年10月にオーケストラ・スコアの改訂に着手。翌2022年5月にオルガン編曲版を完成した後、この年の9月にフル・スコアの改訂を完了した。1992年版から見てちょうど30年の時を経て完成されたフィリップスによるSPCM 2021~22年改訂版は、2022年11月30日ロンドンにて、ロビン・ティチアーティ率いるロンドン・フィルによって初演された。
これら一連の補筆改訂作業における調査や分析は、本誌曲目解説でフィリップス自身も言及しているように、第2次全集版におけるフィリップス校訂による『交響曲第9番ニ短調 フィナーレ(現存する資料による自筆譜の再構築)』(1994/99)や自筆譜ファクシミリ(1996)の出版にもつながってゆく。さらに1999年には現存するフィナーレの断片を集めた演奏譜もフィリップスによって編まれ、同年11月にニコラウス・アーノンクールとウィーン響によって初演された。アーノンクールは2002年にこの第4楽章フラグメントをウィーン・フィルとも演奏しており、指揮者による解説(ドイツ語・英語)も含めた録音がリリースされている[RCA,BVCC34121~2]。
SPCM版フィナーレは、2004年以降再びコールスとサマーレによって改訂され、2005年と2008年に改訂版が出版されることになる(マルクス・ボッシュとアーヘン響が録音[Coviello,COV30711])。この2008年版に含まれる修正を施したかたちのフィナーレが、2007年11月にダニエル・ハーディング指揮のスウェーデン放送響によってストックホルムで初演されて成功を収めると、当初はSPCM版に懐疑的な目を向けていたサイモン・ラトルの評価も変わってきたようだ。そして、ラトルはベルリン・フィルとともに4楽章版・交響曲第9番を演奏することを決意。2011年にさらなる改訂が加えられ、2012年に「決定的に改訂された新版」として出版されたSPCM 2011年改訂版が取り上げられることとなった。ラトルはまず2011年10月に本版をブンデスユーゲント管弦楽団とともに演奏し、コールスも交えて解釈の検討を行ったうえで、2012年2月のベルリン・フィル公演に臨んだ。その演奏は当時のEMIレーベルによって録音、リリースされて反響を巻き起こした[ワーナー・クラシックス,WPGS50002~3]。無論、フィナーレの受け取り方は聴き手によって異なるだろうが、SPCM版の存在と補筆完成の可能性を広く音楽ファンに知らしめた点において、ラトル盤が果たした功績は大きい。
以上のように、ヘフリッヒ社から出版された2011年改訂版でSPCM版の改訂作業は一応の決着をみたわけだが、フィリップス自身はなおも再考の余地があると考えていたようだ。特に、フーガ部分の欠落を埋めるために初期のスケッチを使用したことや、1992年版以来ほとんど変更が加えられていないコーダについて懐疑的であり続けていたのだという。2021年9月、フィリップスは終楽章のオルガンのための編曲を依頼されたのをきっかけに、再びフィナーレの改訂作業に乗り出した。同年10月にオーケストラ・スコアの改訂に着手。翌2022年5月にオルガン編曲版を完成した後、この年の9月にフル・スコアの改訂を完了した。1992年版から見てちょうど30年の時を経て完成されたフィリップスによるSPCM 2021~22年改訂版は、2022年11月30日ロンドンにて、ロビン・ティチアーティ率いるロンドン・フィルによって初演された。
◆ ヨゼフソン版、マルテ版、シャラー版、石原版
さて、ここまでSPCM版の歩みを中心に第4楽章補筆完成版の歴史をたどってきたが、その他にも興味深い試みが複数なされている。1978年から91年にかけて書かれ、SPCM版の登場と同じ1992年に出版されたノース・S・ヨゼフソン(1942~)の補筆は、幾分軽めの響きが気になるものの、第1楽章コーダの素材を用いた終結部は聴きものだ(ジョン・ギボンズ指揮オーフス響、2014年[Danacord,DACOCD754])。
オーストリアの指揮者ペーター=ヤン・マルテ(1949~)による版は、交響曲第7番・第2楽章主要主題など、ブルックナーの過去の作品からの引用も盛り込んで30分ほどの長さに仕立て上げた、なかなかに強烈な補筆(マルテ指揮ヨーロピアン・フィル、2006年[Preiser,PRCD90728])。他方、2010年改訂キャラガン版の録音を残している指揮者ゲルト・シャラー(1965~)は、2016年に自らもフィナーレを補筆完成(2018年改訂)。大胆不敵な筆致で壮大なクライマックスを築き上げる(シャラー指揮フィルハーモニー・フェスティーヴァ[Profil,PH18030])。
補筆完成の試みは日本でも行われている。2023年10月11日に坂入健司郎率いるタクティカートオーケストラが演奏して話題を呼んだ石原勇太郎(1991~)による版は、CD[アルトゥス,ALT544~5]の解説文に記された石原自身の言葉によると、「なるべくわかりやすい第4楽章」を示すことを最大の目的として書かれたのだという。なるほど、第1楽章の構造を軸に全体をすっきりとまとめ上げつつ、18分50秒ほどの演奏時間のなかで重要な素材をきっちりと聞かせてくれる本補筆は「第4楽章入門」にぴったりだ。
ブルックナー自身が書き上げることができなかった交響曲第9番のフィナーレには、今なお無限の可能性が広がっている。作曲家生誕200年の節目を迎える今年、ブルックナーが遺した数々の名作はもちろん、彼の音楽を愛してやまない音楽家や音楽学者たちが溢れんばかりの想いを注いで築き上げた十人十色の第9番第4楽章のかたちを、じっくりと聴き比べてみるのもまた愉しいだろう。
オーストリアの指揮者ペーター=ヤン・マルテ(1949~)による版は、交響曲第7番・第2楽章主要主題など、ブルックナーの過去の作品からの引用も盛り込んで30分ほどの長さに仕立て上げた、なかなかに強烈な補筆(マルテ指揮ヨーロピアン・フィル、2006年[Preiser,PRCD90728])。他方、2010年改訂キャラガン版の録音を残している指揮者ゲルト・シャラー(1965~)は、2016年に自らもフィナーレを補筆完成(2018年改訂)。大胆不敵な筆致で壮大なクライマックスを築き上げる(シャラー指揮フィルハーモニー・フェスティーヴァ[Profil,PH18030])。
補筆完成の試みは日本でも行われている。2023年10月11日に坂入健司郎率いるタクティカートオーケストラが演奏して話題を呼んだ石原勇太郎(1991~)による版は、CD[アルトゥス,ALT544~5]の解説文に記された石原自身の言葉によると、「なるべくわかりやすい第4楽章」を示すことを最大の目的として書かれたのだという。なるほど、第1楽章の構造を軸に全体をすっきりとまとめ上げつつ、18分50秒ほどの演奏時間のなかで重要な素材をきっちりと聞かせてくれる本補筆は「第4楽章入門」にぴったりだ。
ブルックナー自身が書き上げることができなかった交響曲第9番のフィナーレには、今なお無限の可能性が広がっている。作曲家生誕200年の節目を迎える今年、ブルックナーが遺した数々の名作はもちろん、彼の音楽を愛してやまない音楽家や音楽学者たちが溢れんばかりの想いを注いで築き上げた十人十色の第9番第4楽章のかたちを、じっくりと聴き比べてみるのもまた愉しいだろう。
【CD】
ブルックナー:交響曲第9番
〔第4楽章:SPCM 2011年改訂版(2012)〕
サイモン・ラトル指揮 ベルリン・フィル
〈録音:2012年2月7〜9日(ライヴ)〉
[ワーナー・クラシックス,WPGS50002〜3(2枚組)]CD&SACD
* 交響曲第9番第4楽章について語る上で、避けて通れない名盤。なお、2002年から18年までベルリン・フィルの首席指揮者を務めたラトルは、そのラスト・シーズンに再び本補筆完成版を取り上げており、2018年5月26日の公演の録音と映像がリリースされている[ベルリン・フィル・レコーディングス,KKC9507~19(9CD+4BD)]。
ブルックナー:交響曲第9番
〔第4楽章:SPCM 2011年改訂版(2012)〕
サイモン・ラトル指揮 ベルリン・フィル
〈録音:2012年2月7〜9日(ライヴ)〉
[ワーナー・クラシックス,WPGS50002〜3(2枚組)]CD&SACD
* 交響曲第9番第4楽章について語る上で、避けて通れない名盤。なお、2002年から18年までベルリン・フィルの首席指揮者を務めたラトルは、そのラスト・シーズンに再び本補筆完成版を取り上げており、2018年5月26日の公演の録音と映像がリリースされている[ベルリン・フィル・レコーディングス,KKC9507~19(9CD+4BD)]。
【CD】
ブルックナー:交響曲第9番
〔第4楽章:石原勇太郎による新補筆完成版(2023)〕
坂入健司郎指揮 タクティカートオーケストラ
〈録音:2023年10月11日(ライヴ)〉
[Altus(アルトゥス),ALT544〜5(2枚組)]
* ブルックナーを敬愛する若き指揮者と音楽学者がタッグを組んで臨んだ演奏会の記録。国内外で活躍する若手奏者を中心としたタクティカートオーケストラによる瑞々しい快演が収められた。金管楽器群による確信に満ちたコラール主題をはじめ、坂入が引き出す充実の響きもまた新補筆版の説得力を高めている。
ブルックナー:交響曲第9番
〔第4楽章:石原勇太郎による新補筆完成版(2023)〕
坂入健司郎指揮 タクティカートオーケストラ
〈録音:2023年10月11日(ライヴ)〉
[Altus(アルトゥス),ALT544〜5(2枚組)]
* ブルックナーを敬愛する若き指揮者と音楽学者がタッグを組んで臨んだ演奏会の記録。国内外で活躍する若手奏者を中心としたタクティカートオーケストラによる瑞々しい快演が収められた。金管楽器群による確信に満ちたコラール主題をはじめ、坂入が引き出す充実の響きもまた新補筆版の説得力を高めている。